ワイ、変身写真を撮影する。
こんにちは。Yです。
台湾旅行者もすなる変身写真というもの、都内で撮影できると聞き、さっそく体験してきました。
変身写真とは、撮影用のバッチリメイクをし、非日常感あふれる衣装とカツラで綺麗になったところを、舞台セットのようなファンタジーな背景と合わせて、プロの撮影技術によって美しく撮ってもらう写真のことのようです。
アリプロのCDのジャケット写真をイメージしていただけるとわかりやすいかもしれません。
台湾にはそのための写真館はたくさんあるのですが、東京都内で変身写真を撮れる場所はごくわずかです。
ウェブサイトから予約をしてからというものの、どの衣装にしようか、どの背景にしようかと浮き足立ったまま、地に足のつかない生活をしていました。
着たい衣装をいくつか候補として考えつつ、当日。スカイツリーのふもとから歩くこと10分。テナントビルの階段を上がると、スカイブルーの扉に可愛らしい白い看板が下がっていました。『closed』。
え!『closed?』日付を間違えたのか…いや、そんなことはない。
どうやら心配は杞憂で、ドアを開けるとローラさんのような、美しい店員さんが笑顔で迎えてくださいました。
アンケートを記入し、撮影したい写真のイメージを伝えます。
せっかくなので化粧濃いめのおバカキャラで、セクシーかキュートかで言ったらセクシー路線という贅沢盛り盛りな注文をしてみました。
その後は衣装選びです。ドレスや和服、コスプレチックなものがずらりと並ぶ様子は壮観でした。
普段はパジャマ姿で布団に入ったまま本を読んでいる自分の中にも、乙女心というものがあったのかと実感する瞬間でした。
鏡の前にあれこれと衣装を当てながら決めかねていると、店員さんが注文に合う服を引っ張ってくださったり、若いんだから露出してみてもいいのではとアドバイスをくださいました。
結果、ピンクのウエストニッパー型のキャミソールに、パニエを合わせることに決まりました。
ニーハイソックスを留めるガーターベルトのつけ方がわからないながらもなんとか着替えたら、いよいよメイクです。
店員さん曰く、撮影用のメイクは陰影をつけるのが大事なのだとか。頷まわりのファンデーションを暗めにすることや、目のホリを描くことで、写真という平面的なものでも立体感が出るそうです。
プロの技は再現できないけれど、これならば免許の写真撮りに行く前にできそう。
メイクをするごとに、ホリが深くなり、派手になり、つけまつげの上につけまつげをくっつけても目が悪目立ちしないほどの魔改造を1時間少々の間に施されました。
だんだん、こいつ誰だ状態になっていく自分を鏡越しに見るのはなんとも不思議な気持ちです。
最後にスタジオで、脚はこっち手はこっちとポーズ指定していただきながら撮った写真はこんな感じになりました。
ネットに顔出しといえど、もはやこれは私をベースにした他人だから何ともないくらいです。
高校生の頃、スカート短くして、シュシュつけて、薬局の試供品のマスカラをつけた後に撮った懐かしのプリクラ。それの超超超上位互換版のようなものでもありつつ、かなりの不思議体験した。
ミドリムシのラーメンを食べてみた @池袋「六感堂」
こんにちは、Yです。
本郷の山手さんに引き続き、2杯目のミドリムシラーメン「塩グリーン麺」を池袋の六感堂さんでいただきました。
サンシャインの大塚側、繁華街から程よく外れた通りに位置する、イタリアンを名乗っても全く違和感のないシャレオツな外装のお店です。
店内もスタイリッシュで、緑色のピッチャー、緑色のソファー、観葉植物、、、などなど、さわやかなグリーンがあちらこちらから目に飛び込んできましたが、決してしつこさはなくカッコよくまとまっています。
壁にはお店のオリジナルTシャツが帽子と共にかけられており、フットサルサークルにいそうなファンモンが好きなリア充男子の部屋(偏見)に迷い込んだかのような気分に浸りつつ、カウンター席に座ると、件のオリジナルTシャツを着た店員さんがてきぱきと調理する様子が見えます。
スタイリッシュっぷりは提供されるラーメンにも徹底されており、麺にミドリムシが練りこまれたラーメンには、チャーシューの他にコンフィが乗っています!
ラーメンにコンフィか、聞いたことないぞっ!
パッと見て、ホウレンソウの練りこまれたパスタなんだと錯覚してしまいそうでしたが、これはまぎれもなくミドリムシラーメン。
さっそくいただきます。
おん?やさしー!へるしー!
ミドリムシの味は認識できないけれど、中庸でまったりとしたなかにも、かつおのお出汁が効いています。
これは飲み会のあとに〆のラーメン枠ではなく、お茶漬け枠として食べたくなりそうな、、同じラーメンという名前だけれども、ニンニクやアブラをマシマシする系統のものとは違う味わいです。
ラーメンを食べた後、こりゃ太りそうだわと罪悪感を感じてしまうことがあるのですが、この場合はむしろ、沢山のミドリ成分を取り込んで健康になれたような気さえしてきます。
山手さんと六感堂さん、同じ素材を前面に押しつつも向かっている方向が対照的なラーメンでした。
ブログ再開します。
皆さん、お久しぶりです。Yです。
大学卒業までにしておきたいことをテーマに4年生だった今年の2月までブログを更新しておりましたが、就職をきっかけに忙しさからなんとなくフェードアウトしてしまいました。
そんな折、久しぶりにブログを見てみたら「新しい記事を読みたい。学生の頃の感性の大事なところは失わないでほしい。」という内容のコメントをいただいていたことに気づきました。通勤中の電車の中、嬉しいやら、切ないやら、涙が出てきました。
というのは、卒業してから楽しむことや遊ぶことから離れてしまったこと、それどころか、仕事以外の時間はあまりエネルギーを使わないようにさえしていることに気づいて、とてつもなく悲しくなってしまったからです。
思い返してみれば、大学時代にやってみたかったのに、まだやっていなかったこと、まだまだありました。
クリスマスひとりディズニーinカリフォルニア、ひとりラブホテル、ミドリムシラーメン2店舗目のレポなど、ネタはあるのにまだ皆様に報告していないこともあります。
新しくやってみたくなったことも増えました。
勝手ではございますが、今後とも、消化試合の報告や、あとがきを記事にしたいです!
よろしくお願いいたします。
ミドリムシのラーメンを食べてみた @本郷「山手ラーメン本郷安庵」
みなさん、こんにちはYです。
気まぐれで都内の2店舗でミドリムシ入りラーメンを食してみたので、感想を綴ります。
まずご紹介するのは「山手ラーメン本郷安庵」さんの「みどりラーメン」です。
東京大学本郷キャンパスの道を挟んだ反対側にこぢんまりと看板をだしているお店です。
お昼時に店内に入ると、厨房に面した細長いカウンター席に所狭しと若人たちが麺をすすっています。数人で来てウェイウェイするグループもなく、ひとりか2人組みがほとんどです。
薄緑色のアロハシャツの制服を着た、森見登美彦の小説から抜けて出てきたような推定童貞率90%くらいの店員さんに食券を渡し、待ちます。
周りを見渡すと、皆さんお冷もってるけど、私のとこにはない。きょろきょろすると、席の後ろにウォーターサーバーを見つけ、ここでようやくセルフサービスということ気づきました。常連さんが多そうなお店なのに、これじゃ新参者丸出しですorz
また、席にはみどりラーメンの主役たるミドリムシの説明書きがありました。
ミドリムシの学名のユーグレナは、発見者のレーウェンフックが美しい目という意味を込めて名付けたもの。
ロマンチックですねぇ~。
感心しているうちに1杯に7億匹のミドリムシが入っているという、みどりラーメンが届きました。2億4千万の瞳どころか、14億の美しい目です。
いただきます。
見た目はバジル味がしそうですが、さらさらめの豚骨の風味のスープです。らでぃっしゅぼーやのとんこつラーメンに近い味です。
麺はつるつるもちもちとした、スパゲッティのような太めの麺です。細麺と太麺を選べるようで、細麺をえらんだのですが、太麺はもっと太いんでしょうね!
具はキャベツが多く、火の通り加減や味などはラーメン二郎さんの「ヤサイ」の概念に近いものです。もちろん、二郎さんよりももやしの比率は格段に低いです!
うん、ミドリムシの味はわからなかったけれど、懐かしい味がするボリュームたっぷりの一杯でした。
ちなみに…入店時は気に留めなかったのですが、入り口付近に「山手ノート」という落書き帳と、「山手論」という手作り感満載の雑誌がありました。
山手論を買う際はボックスにお金を入れるという、ここでもまたセルフな方式。一部欲しかったのですが、ちょうど500円がなく断念。
そこにはきっと面白いことが書いてあったに違いありません。だって、落書きノートですらとってもおもしろかったのだもの。
深く印象に残った書き込みは「止めておけ その一口が デブのもと」というアフォリズム。
その言葉を胸に刻み、後日、もう一軒のラーメン屋に向かったのでした。
→ @池袋「六感堂」編へつづく?
ワイ、石川県宝達市のモーゼの墓にお参りしてきた。
みなさん、あけましておめでとうございます。Yです。
卒論や実習に追われていましたが、やっとゆっくりできそうなので、さっそく積もる話でも。
少し前になりますが、モーゼの墓参りに石川県宝達志水町に行ってきました。
宝達駅までは金沢から七尾線に乗り、40分ほど乗り換えなしで揺られれば到着です!
さて、旧約聖書のカリスマのお墓がなぜ日本にあるのか?
宝達の駅に置かれていた市の観光ガイドによると、三つ子塚古墳群にモーゼが葬られているという説をうけ、モーゼパークにしたと書いてありました。
自治体の公式観光ガイドに載っているということは、それなりに期待していいはずです。そして、史実かわからない説に基づいているものの、神殿っぽい写真が載っているし、これは間違いなくリア充スポットだなと期待に胸が躍ります。
改札を降りると、モーゼにこの町に何の用事があってきたのか問いただしたくなるほど、田んぼと住宅が並ぶカントリーロードが広がっています。
風景のかわり映えのしない道をほぼまっすぐ行くこと20分。「伝説の森 モーゼパーク」の黄色い看板がズバーンと目に入ります。
看板のとおりに曲がり、さらに歩くこと5分。観光バスがここまでくるのかどうかわかりませんが、大型バス用の駐車場にトイレやベンチが道の途中にあります。
この日は車はなく誰もいない様子でした。
そして、ついに伝説のモーゼパークに到着です。
この時点で私はかなりビビッていました。周りには観光客も第一村人も誰ひとりいない場所に、こんなおどろおどろしい書体の石碑が建っているんだもの!
写真には撮りませんでしたが道を挟んだ向かい側にお墓が数基ありました。
お墓を背に石碑の向こうを眺めると観光ガイドに載っていたあの神殿の柱があるじゃぁないですか。寄ってみてひしひしと感じるこの違和感はなんだろう。ガイドの写真と同じ建造物なんだけれど、あの写真で咲き乱れていた赤い花がなく、芝生に落ち葉がたまっているせいで、あまりリア充スポットには見えません。
長居をしても見るところがないので、とっとと次の場所を目指します。本題のモーゼのお墓です。
地図を見ると、柱の広場はポケットガーデンという名前だったんですね。そこを降りて、まっすぐ行って右の白線で示された道に沿って行けばいいことがわかります。
さぁ、出発だ。
ん、道はこれ??
もう一度地図を見よう。
方向はやっぱりこっちで合っている。
道、これかな。この、クマちゃんのイラストの先に行ってもいいのかな。
なんて考えながら歩いていると、
管理しているのはモーゼクラブなる団体らしい。
せっかくなので、どんな書き込みがあるのか読んでみると、
お名前とともに「
寂れ具合からもう観光地じゃないのかもと心細くなっていましたが
この山路に太古のロマンを感じるポイントはひとつもないけれど、
「山ヘ入ルナ」か。
カタカナと赤字だと殺伐とした雰囲気が出て、効果的な看板ですね。
こんな看板が4m間隔で道の左右に建っています。
私が気になったのは「山」が何を指すのかということ。
モーゼパークは全体的に小高い山になっています。この看板は「この先に進むな」という意味なのか、「コースを外れてロープの外側に行くな」という意味なのか、この文からは読み取れません。
この先に進んで、地権者に見つかったらマズいのかしら…。既に引き返したい気持ちでいっぱいでしたが、金沢から一時間かけてここに来たのだからと「森のくまさん」を歌いながら自分を奮い立たせ頂上を目指すのでした。
山道は地図で見るよりずっと長く、ひとっこひとり見当たりません。悪天候なうえ、日当たりの悪い林が続き、木々の間を風が通る音にさえ過敏に反応してしまいます。
ひとり文明に取り残された気持ちになりながら、やけっぱちで歌っていると、次なる看板を見つけました。
ロマンの小路ですってよ♡
ここを曲がると、太古のロマンを感じるポイントにようやく巡り合えるのかしらと、ロマンの小路を歩きます↓
そして、ようやくゴールらしき広場に着きました。
この碑には日本語と英語で、三つ子塚古墳がなぜモーゼ伝説と関連があるのかということが書かれています。
これによると、モーゼの墓と云われる所以は二つ。引用してご紹介させていただきます。
謎の究明①
謎の解明の一つに古文文献「竹内文書」がある。
それは富山県の竹内家が代々守ってきた古文書である。
古文書には、モーゼはシナイ山に登った後、天浮船に乗り、能登宝達に着き「十戒」を授かり三つ子塚に葬られていると記されている。
謎の究明②
考古学者の山根きく著「光は東方より」の中にも紹介されている。モーゼは当時の天皇に拝し、天皇の娘大室姫と結婚した。その後シナイ山へ数度訪れ、十戒法の政治を開いた。この著書がひろく紹介され、多くの観光客や興味ある人が訪れるようになった。
引用は以上です。竹内文書というのは、ググったところ記紀以前の古代史を記した古文書で、キリストやムハンマド、釈迦が当時の天皇を崇めて日本にやってきたというロマンにあふれすぎて荒唐無稽な内容のインチキ歴史書だそうです。
熊やおどろおどろしい立て看板などさまざまなトラップをかいくぐりここまできたのですが、なんだか気落ちしてしまいました。
ここの他に、ミステリーヤードという古墳を見渡せる庭があるようでしたが、ひとりだし、熊が怖いので下山しました。
帰りの電車で読んだ、過去の参拝者たちのブログには、あの石碑の上にモーゼの墓があり、卒塔婆とシーサーが置いてあったとの記述がありました。
また、中日新聞に面白い記事がありました。
山の入り口の記帳所を管理している「モーゼクラブ」は、モーゼ伝説による町おこしを目指した町議や商工会議所の方々によって発足されたもので、モーゼパークは「ふるさと創生事業」を活用して整備されたものだそうです。
そして、今は見ての通り、町おこしの動きは完全に鎮静化しています。
私はこの記事を読んで、怪しい歴史書を地域振興の題材にしたことに問題があったのではないか、と思ったのです。モーゼが来たという話はインパクトもロマンもあるけれど、地域の歴史や文化とかなり質が違うものです。町おこしの主体である地域の住民が納得して、人を呼ぼう、盛り上げよう、思うような内容が望ましいのではないでしょうか。
というのは、別の話ですが、叔母が住んでいる地域にも似たような事例があるのです。そこには城跡があって、町おこしの一環で城が復元されることになったんだそうです。そこで、商工会議所が資料に残っていない天守閣まで「再現」したいと主張し、物議を醸しています。
天守閣は見栄えがいいし、集客効果もありそうですが、史実を無視することは、住民やこれから地域で育つ子どもがもつ故郷のイメージの一部がまがいものになってしまうんじゃないかと思います。利益は大事だけれど、それよりも何にも代えがたいアイデンティティは歪めちゃいけないでしょって。
モーゼの墓も天守閣も、はっきり断定できないものに都合のいい説明をつけないほうがいい。古墳に観光資源としての役割を期待すると、史実と観光客の見たいものが合致しない場合もある。
そんなことは誰もが分かっていることだけれど、そうするより仕方のない事情があったのかしら、とブルーな気持ちでお墓参りを終えました。