卒業までにしたい約50のこと

大学時代にやり残したことを消化する新卒OLの雑記帳

シンガポールの戦跡に行ってきた

こんにちは。Yです。
2か月ほど前シンガポール旅行をしてきました。

バブリーで現代的な印象のシンガポールですが、かつては英領で、その後マレー作戦の成功により日本領に組み込まれたエリアという歴史があります。

現在も英国が降伏文書に調印をしたフォードの工場や、セントーサ島の砲台、旧昭南神社(「昭南」はシンガポールの日本統治時代の名称)などの近代史跡が点在しています。

そのひとつのバトルボックス(英国軍地下司令本部)に行き、日常生活であまり味わうことのない複雑な感情を伴う経験をしてきました。

1.招かれざる客になった
バトルボックスの見学にはガイドツアーが必須なのですが、申し込んだ直後から戦争責任問われちゃうんじゃないかしらという嫌な予感がしていました。

というのは、申し込み時にいただいた案内パンフレットを見ると、日本統治時代について「シンガポール近代史の暗黒時代」とさらっと書かれていたからです。
また、ツアー開始まで待機していたお土産売り場に日章旗の写真がセピア色に補正された表紙の本や、和訳するとさしずめ「帝国の終焉」のようなタイトルの本が売られていました。
この手の史観のもとでの展示は予想してはいましたが、空気が完全にアウェイです。

ですので、ツアーのはじめに笑顔が素敵な長髪さらさらのガイドさん(男性)が「このツアーの後、みなさんにひとつだけある質問をしますので、ちょっと気に留めておいてくださいね。」と言っていたので、これは感想を聞かれるパターンだろうか。この展示での悪者たる日本人として欧米系や東アジア系の多い他の参加者に落胆されないような感想を考えるべきか...と冷や汗かきながら話を聞くこととなりました。

結局、その質問はプレゼントつきのクイズだったので、心配は杞憂でしたw

2.別の視点からのマレー作戦を見た
ツアーはからバトルボックス正面のクラシックホテルから始まります。
↓地下に司令本部移転する前は、このケーキのような建物を使っていたのだとか。
マリーナベイサンズみたいなイケイケパリピな雰囲気よりも私はこっちが好きだわ!

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しかし、マレーシアからチャリで南下した日本軍に水源を掌握されたため戦況が悪化。
それに伴い本部はこの穴に移転します。

この入口の下には20を超える部屋があり、通信室、作戦室、毒ガス防御装置などを備えつつも、もともとあのケーキのような建物にいた500人もの兵士たちの生活の場でもありました。

階段を下ると、トイレから何から当時の施設をそのまま使った展示室に、蝋人形やパネルが置かれているなかを映像鑑賞も3度ほど交えながら、ガイドさんがひと部屋ずつ案内してくださいます。

この展示のなかでフィーチャーされているのはパーシバル氏率いる英国軍です。

最後の映像に「このミュージアムは勇敢に戦った彼らを顕彰するためのもの」だという字幕にあった通り、厳しい状況下に置かれながらも最後まで戦うパーシバル氏が取りざたされていました。
ですので、彼らの敵である日本に関連する映像のBGMの暗いこと暗いことw

私が目にしてきた言説は、大戦中の日本からの視点や、終了した出来事に対して俯瞰したところから何かしらの解釈を与えるものがほとんどだったため、実際に使われた施設で時系列を追いながら対戦相手としての日本を見たのは初めての事でした。

3.ひとこと言いたくなった

今回は、あちらの言い分を聞きに来たのだから、史観やらバイアス云々の事は置いといて話を聞くことに集中しようとしましたが、ガイドさん、ひとつ聞き捨てならないことをおっしゃいました。
原爆投下に関して「fortunate for us」と言ったのです。
マニラの空襲の写真を挙げながら「日本にとっては不運だが、空襲がなくなったという点で我々にとっては幸運なことに...」という文脈でした。
人類にとっての不幸にその言い方はないでしょうよ、と言いたいのを我慢し、お金を払ってここまで来たことに後悔しました。

別の視点を学ぼうとする時に、そこにお金を払う必要がでてきます。すると、そこにお金を払ったことが、その言説への支持を意味してしまうのではないかと思い、慎重にならざるを得ません。

ですので、いくら別の視点から見ようとしても、もっと英語を聞き取れて、より正しくガイドさんの話を聞くことができるようになっても、自分のバイアスに縛られるんだなと感じました。
それは、おかしなことではないのかもしれません。相互理解は大切ですが、同じ歴史を持っていないからこそ、その国がその国たりえているとも言えますからね。

でも、空気を読んだり、綺麗な英語が思い浮かばなかったり、とっさに機転が効かなかったために、飲み込んだ言葉を、言ってみてもよかったのかもしれないと今となっては思います。
あの場で理解してもらえなくても、一旦、他者を信用してみて、当たって砕けてみれば、と。