ワイ、石川県宝達市のモーゼの墓にお参りしてきた。
みなさん、あけましておめでとうございます。Yです。
卒論や実習に追われていましたが、やっとゆっくりできそうなので、さっそく積もる話でも。
少し前になりますが、モーゼの墓参りに石川県宝達志水町に行ってきました。
宝達駅までは金沢から七尾線に乗り、40分ほど乗り換えなしで揺られれば到着です!
さて、旧約聖書のカリスマのお墓がなぜ日本にあるのか?
宝達の駅に置かれていた市の観光ガイドによると、三つ子塚古墳群にモーゼが葬られているという説をうけ、モーゼパークにしたと書いてありました。
自治体の公式観光ガイドに載っているということは、それなりに期待していいはずです。そして、史実かわからない説に基づいているものの、神殿っぽい写真が載っているし、これは間違いなくリア充スポットだなと期待に胸が躍ります。
改札を降りると、モーゼにこの町に何の用事があってきたのか問いただしたくなるほど、田んぼと住宅が並ぶカントリーロードが広がっています。
風景のかわり映えのしない道をほぼまっすぐ行くこと20分。「伝説の森 モーゼパーク」の黄色い看板がズバーンと目に入ります。
看板のとおりに曲がり、さらに歩くこと5分。観光バスがここまでくるのかどうかわかりませんが、大型バス用の駐車場にトイレやベンチが道の途中にあります。
この日は車はなく誰もいない様子でした。
そして、ついに伝説のモーゼパークに到着です。
この時点で私はかなりビビッていました。周りには観光客も第一村人も誰ひとりいない場所に、こんなおどろおどろしい書体の石碑が建っているんだもの!
写真には撮りませんでしたが道を挟んだ向かい側にお墓が数基ありました。
お墓を背に石碑の向こうを眺めると観光ガイドに載っていたあの神殿の柱があるじゃぁないですか。寄ってみてひしひしと感じるこの違和感はなんだろう。ガイドの写真と同じ建造物なんだけれど、あの写真で咲き乱れていた赤い花がなく、芝生に落ち葉がたまっているせいで、あまりリア充スポットには見えません。
長居をしても見るところがないので、とっとと次の場所を目指します。本題のモーゼのお墓です。
地図を見ると、柱の広場はポケットガーデンという名前だったんですね。そこを降りて、まっすぐ行って右の白線で示された道に沿って行けばいいことがわかります。
さぁ、出発だ。
ん、道はこれ??
もう一度地図を見よう。
方向はやっぱりこっちで合っている。
道、これかな。この、クマちゃんのイラストの先に行ってもいいのかな。
なんて考えながら歩いていると、
管理しているのはモーゼクラブなる団体らしい。
せっかくなので、どんな書き込みがあるのか読んでみると、
お名前とともに「
寂れ具合からもう観光地じゃないのかもと心細くなっていましたが
この山路に太古のロマンを感じるポイントはひとつもないけれど、
「山ヘ入ルナ」か。
カタカナと赤字だと殺伐とした雰囲気が出て、効果的な看板ですね。
こんな看板が4m間隔で道の左右に建っています。
私が気になったのは「山」が何を指すのかということ。
モーゼパークは全体的に小高い山になっています。この看板は「この先に進むな」という意味なのか、「コースを外れてロープの外側に行くな」という意味なのか、この文からは読み取れません。
この先に進んで、地権者に見つかったらマズいのかしら…。既に引き返したい気持ちでいっぱいでしたが、金沢から一時間かけてここに来たのだからと「森のくまさん」を歌いながら自分を奮い立たせ頂上を目指すのでした。
山道は地図で見るよりずっと長く、ひとっこひとり見当たりません。悪天候なうえ、日当たりの悪い林が続き、木々の間を風が通る音にさえ過敏に反応してしまいます。
ひとり文明に取り残された気持ちになりながら、やけっぱちで歌っていると、次なる看板を見つけました。
ロマンの小路ですってよ♡
ここを曲がると、太古のロマンを感じるポイントにようやく巡り合えるのかしらと、ロマンの小路を歩きます↓
そして、ようやくゴールらしき広場に着きました。
この碑には日本語と英語で、三つ子塚古墳がなぜモーゼ伝説と関連があるのかということが書かれています。
これによると、モーゼの墓と云われる所以は二つ。引用してご紹介させていただきます。
謎の究明①
謎の解明の一つに古文文献「竹内文書」がある。
それは富山県の竹内家が代々守ってきた古文書である。
古文書には、モーゼはシナイ山に登った後、天浮船に乗り、能登宝達に着き「十戒」を授かり三つ子塚に葬られていると記されている。
謎の究明②
考古学者の山根きく著「光は東方より」の中にも紹介されている。モーゼは当時の天皇に拝し、天皇の娘大室姫と結婚した。その後シナイ山へ数度訪れ、十戒法の政治を開いた。この著書がひろく紹介され、多くの観光客や興味ある人が訪れるようになった。
引用は以上です。竹内文書というのは、ググったところ記紀以前の古代史を記した古文書で、キリストやムハンマド、釈迦が当時の天皇を崇めて日本にやってきたというロマンにあふれすぎて荒唐無稽な内容のインチキ歴史書だそうです。
熊やおどろおどろしい立て看板などさまざまなトラップをかいくぐりここまできたのですが、なんだか気落ちしてしまいました。
ここの他に、ミステリーヤードという古墳を見渡せる庭があるようでしたが、ひとりだし、熊が怖いので下山しました。
帰りの電車で読んだ、過去の参拝者たちのブログには、あの石碑の上にモーゼの墓があり、卒塔婆とシーサーが置いてあったとの記述がありました。
また、中日新聞に面白い記事がありました。
山の入り口の記帳所を管理している「モーゼクラブ」は、モーゼ伝説による町おこしを目指した町議や商工会議所の方々によって発足されたもので、モーゼパークは「ふるさと創生事業」を活用して整備されたものだそうです。
そして、今は見ての通り、町おこしの動きは完全に鎮静化しています。
私はこの記事を読んで、怪しい歴史書を地域振興の題材にしたことに問題があったのではないか、と思ったのです。モーゼが来たという話はインパクトもロマンもあるけれど、地域の歴史や文化とかなり質が違うものです。町おこしの主体である地域の住民が納得して、人を呼ぼう、盛り上げよう、思うような内容が望ましいのではないでしょうか。
というのは、別の話ですが、叔母が住んでいる地域にも似たような事例があるのです。そこには城跡があって、町おこしの一環で城が復元されることになったんだそうです。そこで、商工会議所が資料に残っていない天守閣まで「再現」したいと主張し、物議を醸しています。
天守閣は見栄えがいいし、集客効果もありそうですが、史実を無視することは、住民やこれから地域で育つ子どもがもつ故郷のイメージの一部がまがいものになってしまうんじゃないかと思います。利益は大事だけれど、それよりも何にも代えがたいアイデンティティは歪めちゃいけないでしょって。
モーゼの墓も天守閣も、はっきり断定できないものに都合のいい説明をつけないほうがいい。古墳に観光資源としての役割を期待すると、史実と観光客の見たいものが合致しない場合もある。
そんなことは誰もが分かっていることだけれど、そうするより仕方のない事情があったのかしら、とブルーな気持ちでお墓参りを終えました。